0203 戦後復興と労働事情

 終戦直後の1946年のGNP(国民総生産)は4,740億円で戦前の水準に遠く及びませんでしたが、急速に回復しました。朝鮮戦争が始まった1950年にGNPは3兆9,470億円となり、戦前の水準を回復しました。1956年「経済白書」[*2-13]では、「昭和30年度の経済は貿易を除けば戦前水準を大幅に上回った。一人当たり実質国民所得でみれば、昭和9~11年の113%であって、これは戦争中の最も高かった水準、14年のそれと偶然ながら全く一致している。鉱工業の生産も戦時中の最高は19年だったが、30年度の生産水準はこれを凌駕した。つまり戦前水準を超えたというだけではなくて、戦前、戦時のピーク水準にも到達したのである」と日本経済が復興したことを確認しています。

 
 図 GDP・GNPと経済成長率の推移

 同白書の「結語」では、「敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、・・・経済の浮揚力には事欠かなかった。・・・いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。・・・もはや『戦後』ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。」と、戦災復興期を終えて、経済発展の次の段階に入っていかなければならないとの認識を示しています。同白書[*2-14]は、消費生活についても、内容が「食、衣から次第に家具什器など耐久消費財やサービス関係に向いて」いて、高級化していると指摘しています。

 農村の零細農家の困窮や1950年に勃発した朝鮮戦争の影響で、農村部から都市部へ労働人口が移動しました。とりわけ女性の労働力は農村部から都市部への移動が顕著でした[*2-15]。戦前の勤務先に継続して就業している者は少なく、年齢にかかわらず新たに求職するものが大半だったとみられるものの、1950年前後の完全失業者は80万人に満たず、完全失業率は2%程度でした。しかし十分な仕事や賃金を得られない不完全就業者や臨時・日雇い労働者もおり、雇用は不安定でした。

 その後、高度経済成長期に入ると労働市場は好転し、失業者も減りました。高度経済成長期は1954年から1973年の期間とされます。1954年の調査によると、就業者の学歴は小学校または中学校卒業者が70.5%、旧制中学または高校卒業者が22.7%でした。また新規採用者の43.3%は縁故採用で、27.8%が公共職業安定所、14.1%が学校の紹介でした[*2-16]。

 
 図 労働力状態の推移

 就業者の年齢構成は、男性は、戦死者の多い30~40歳代の比率が小さいものの、全年齢に渡っていましたが、女性は、20歳代前半までの年齢層に極端に偏っていました。「女子の多くは25歳前後を境として、結婚し家庭に入る」[*2-17]という当時の事情を反映していました。

 1955年の「労働経済の分析」[*2-18]では、就職希望者に女性が圧倒的に多く、その7割が副業希望者であると報告されています。その理由としては、「失業したのではないが生活困難だから」、「学資小遣などをえたいから」、「余暇ができたから」で大半を占めていました。女性の就業者の増加はまず主婦の副業として位置づけられていました。


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