0402 就業環境

 1950年代には女性を中心に卸売り小売業やサービス業、金融業への就業者が増えてきました。後半には、建設業では建設活動が活発で日雇い労働者が増えましたが、製造業では技術革新・機械化が進み日雇い・臨時工が少なくなっており、家族従事者も減少してきました。また大企業での求人は充足しましたが、中小企業、小売店などでは不足しました。中小から大企業への転職指向も強かったといわれています。

 1960年代は経済の活況を背景に人手不足が強まりました。ただし技術革新などに柔軟に対応できる若い人材が求められる傾向があり、求人が多い反面で、変化に対応できないものは失業することもありました。求人の中心は中学卒、高校卒へと移っていきました。団塊の世代が中学を卒業し始めた1962年の求人倍率は、中学卒が2.9倍、高校卒が2.7倍となっています。高校進学率は1960年代に60%を超え、1970年代には80%を超えるようになりました。さらに1963年の「労働経済の分析」[*4-2]では、「求人がなお若年齢層に偏る傾向が引き続いているほか、技術者、技能者に対する需要も強いため、・・・全般的な求職者の漸減基調と相まって求人条件にかなう紹介対象の範囲を量質両面から著しくせばめるとともに、採用選択の余地を少なくしている」と指摘されています。人材の能力への要求水準が次第に高くなっていったといえます。

 
 図 進学率

 高度経済成長期の情報技術、自動化技術、管理技術の発達は著しく、技術革新は就業者の仕事内容を変えることとなりました。「通産省の調査によると,労働力不足対策として企業が最も力を入れているのは『機械化』で、製造業の調査対象企業の5~6割に達し、また最近3年間の設備投資のうち『労働力の節約を主目的とする設備投資を行なった』企業は、設備投資を行なった企業全体の7~8割に及ん」だとされます[*4-3]。製造業では作業の単純化が徹底され、人間疎外的傾向が強まりました。そのために新規卒業者が第3次産業を指向するようになったとされます[*4-4]。

 IT(情報技術)やAI(人工知能)が発達した今日の情報社会からみると未だ初歩的段階でしたが、これらの環境変化はほとんどの産業や業務分野に及びました。大企業を中心として、比較的単純な業務は機械やアルバイト・パート従業員に任せられるようになり、正規の職業としては、管理や企画開発、研究、営業、サービスなどに重心がシフトしてきました。

 また工場の海外移転が1960年代には早くも始まっています。鉄鋼大手はアジア各国に工場建設を進めており、繊維工業や化学工業でも世界各国への進出を進めました[*4-5]。海外での生産比率は1980年代半ばまでは2%台に過ぎませんでしたが、円高や賃金格差、貿易摩擦などを背景として、1990年には4.6%、2000年11.1%、2011年には18.4%へと拡大しました[*4-6]。

 
 図 製造業の海外生産比率

 国内の製造業就業者は、1990年ごろまでは増加しましたが、そのころから中国などのアジア諸国の工業が発達し国際競争が厳しくなりました。また自動車産業などは一部を現地生産に切り替えるようにもなりました。製造業就業者数は輸出が停滞、縮小したこともあり徐々に減少しました。代わって増加したのが第3次産業、とりわけサービス業でした。


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