03.経済成長初期

0301 人口移動と都市化

 明治時代以降の人口増加は出生数の増加によるもので、1950(昭和25)年ごろまでは出生率が高く、ほとんどの都道府県で自然増加による人口増加がみられました。そのピークといえるのが、堺屋太一氏が「団塊の世代」と命名した1947~1949年生まれの世代です。このときの出生率は30人台、合計特殊出生率(15~49歳女性が生涯に産む平均子供数)は4.5前後でした。今日からみると高いのですが、それ以前よりも高い値となったわけではありませんでした。この世代の人口が多い理由は、親世代の人口が過去最多となっていたこと、婚姻率が高くなった上に乳児死亡率が大きく下がっていたことにあります。ただし1950年以降、出生率と合計特殊出生率は急速に低下することになりました。

 
 図 都道府県別出生率

 終戦直後から都市部への人口移動が顕著になりました。1950年から1955年にかけて人口は、東京都では28.0%、神奈川県で17.4%、大阪府で19.7%も増加しました。続く1955年から1960年にも、東京都20.5%、神奈川県17.9%、大阪府19.2%の増加を示しました。愛知県でも5年毎に十数%の増加率を示しました。1970年代ごろまで大都市圏では地方部からの転入者によって人口が増加し、地方部で人口が減少しました。住民基本台帳人口移動報告によると三大都市圏への大量の転入超過は1970年過ぎまで進みました。

 
 図 大都市圏へお転入超過数と総人口

 「労働力不足の声がにわかに高くなったのもまた1960年ごろからである。まず中学卒業者、ついで高卒者がひっぱり凧になった。・・・高卒者を職場の労働者として採用することは、はじめのうちこそ躊躇されていたが、やがて当然視されるようになった。人手不足のうえに、高校進学率が上昇して、中学で就職するものが減ってきて『金の卵』と呼ばれて珍重されるようになったからである」[*3-1]。これらの増加人口は高度経済成長期に大きな役割を果たしました。

 都市部での人口増加の中心は20歳前後の若者でした。1935~1939年生まれの人口は、東京都で1950年に54万人でしたが、20~24歳時の1960年には131万人に2.5倍に増加しました。同様に、1940~1944年まれの東京都の人口は、1950年に67万人でしたが、20~24歳時の1965年に158万人に、1945~1949年生まれは、1950年に78万人でしたが、1970年には168万人となりました。これらの世代は、1950年代前半生まれの世代とともに、それぞれが2倍以上増加しました。

 1950年の東京都の人口は628万人でした。1935~1939年生まれの人口は1960年に、1950年東京都人口に対して約12%が増えたことになります。同様に1940~1944年まれは1965年に約14%、1945~1949年生まれは1970年に約14%が増えたことになります。

 地方部では、1945~1949年生まれの人口は1950年から1970年にかけて、例えば山形県では17.4万人から9.4万人に、島根県では12.4万人から5万人に、鹿児島県は25万人から16万人に減少しました。1950年の3県の全人口はそれぞれ、136万人、91万人、202万人でしたので、1945~1949年生まれ人口だけで、各県人口に対して山形県では約6%、島根県約8%、鹿児島県では4.5%が減ったことになります。

 若い世代の東京での人口増加は男性の方が多数でした。増加直前の10~14歳人口と、ピークの20~24歳の時の東京の人口を比較すると、1935~1939年生まれは、男性が27万人から74万人に、女性が27万人から56万人に増加しました。1940~1944年生まれの男性は38万人から88万人へ、女性は37万人から70万人へ、1945~1949年生まれの男性は45万人から92万人、女性は43万人から75万人へ、それぞれ増加しました。男性の増加人口は女性よりも、それぞれ20万人近く多くなっていました。

 男性人口が女性を大きく上回って増加したために、1955年と1960年の、東京都15~24歳の人口性比(女性人口100に対する男性人口の割合)は、130に迫りました。ほかにも、神奈川県が1970年代に性比が120を超えました。南関東では1970年以降、大阪府では1960年代に性比が110を超しました。一方で地方部の多くの県では性比が下がりました。


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