1406 自己責任

 1990年代以降、日本ではGDPも世帯収入も停滞し、失業率や非正規雇用率が上昇してきました。民間企業では、需要の縮小や人件費高騰を背景に、1980年代半ばごろから事業の再編成(リストラクチャリング)などの経営改革が始められました。一方アメリカでも金融緩和や規制緩和が進められており、新自由主義経済学の唱える市場原理に基づく政策が進められました。アメリカは日本に対しても、規制緩和や市場開放などの構造改革とグローバル・スタンダードの導入を求めました。これをきっかけに、日本も構造改革に取り組むことになりました。

 当時、日本の年金制度などの社会保障制度は他国にくらべて充実し、雇用制度は年功序列の終身雇用が主流でした。しかし年金受給者は増加する一方で、それまでの手厚い制度を維持することが難しくなっていました。また高度経済成長期には、競争力の低い企業でも、行政指導や規制によってそれなりの業績を上げることができましたが、経済情勢が厳しくなると、廃業や事業・企業の再編成などが課題となっていました。終身雇用についてはすでに1975年の「労働経済の分析」のなかで、見直しが課題とされていました。

 そのような状況の中で、自由な経済活動によって経済的な発展が可能となる、という新自由主義経済学の考え方が浸透していきました。佐伯啓思氏によると、新自由主義は、個人的自由と競争原理、効率性などの理念によって構成されています[*14-1]。このような理念は、多様性や自由な価値観が重視され、同時に社会や経済の方向性が不透明だった1980年ごろの日本の雰囲気になじむものだったといえます。

 ところが、佐伯氏によると、新自由主義の理想は、福祉的要素やケインズ的政策を除いた純粋な市場経済ですが、それがうまくゆくかどうかは、理論的にも実際上も論証されていません[*14-2]。さらに、市場の前提とされる、経済主体が合理的に行動する、貨幣は経済の目的ではない、人びとの消費意欲は無限で経済問題は希少資源の適切な分配にある、という3つの前提はいずれも現実とかけはなれていると言います[*14-3]。

 また2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティグリッツは、新自由主義の市場モデルは、完全な情報、完全な競争、完全な市場という非現実的な前提に基づいており、実際の経済活動には適切な規制が必要であると指摘しています[*14-4]。

 1980年代からの多様性や自由な価値観、個人的自由は、自己責任と表裏の関係と認識されるようになりました。日本における「自己責任」は、もともとは金融市場での自己責任原則から広がっていったと思われますが、個人が就職や人生の選択を行って行動した場合にも、その結果は「自己責任」という考え方が浸透していきました。これはとりもなおさず、仮に結果が失敗であれば、だれも支援しないことを意味しており、山田昌弘氏のいう「リスクの個人化」とも共通します。

 自分の選択に責任を負うという考え方自体はきわめて妥当です。しかし1990年代以降、就業については、正規雇用の選択肢は縮小し、非正規雇用の選択肢が増えました。選択肢は不利な方や高いリスクを伴う方に偏り、有利な、あるいは安定的な選択肢は少なくなり、競争が激しくなりました。

 競争が厳しくなるにつれて、落ちこぼれる人が必ず一定数でてきます。その救済策として「セーフティ・ネット」を構築することが一時期提起されました。就職支援のためにはキャリア教育事業が実施され、また生活支援のためには生活保護制度を活用するとされました。しかしキャリア教育によって全体の雇用数が増えるわけではありません。社会福祉予算は増え続けていますが、対象世帯も増加していて、十分とはいえません。選択肢はますます厳しくなり、非正規雇用者や失業者、低所得者は増え続け、しかも自己責任に任されているというのが実態です。

 言い換えれば、かつてリスクは、経済的選択という生活のなかでも特定の行為に関するものだったものが、次第に、生活に関するほとんどの行為に関するものに広がっていったとも言えます。

 問題発生に対して、事後的対策よりも予防的対策の方がコスト的にも有利であることは、予防医学の普及経緯をみても類推できますし、イギリスの公衆衛生法成立の経緯をみても想像できます。イギリスの法律家だったサー・エドウィン・チャドウィックは、労働者階級の生活環境を調査し、劣悪な生活環境が健康状態に大きな悪影響を与えていることを解明し、「イギリス労働者階級の衛生状態に関する報告」を1942年に議会上院に提出しました。さらにチャドィックは、病気発生後の事後対策よりも、防止・予防対策の費用の方が経済的であるなどを指摘しました。これにより1848年に公衆衛生法が成立しました[*14-5]。

 また社会福祉に関するイギリスなどの経緯をみると、かつて貧困者は、自助努力の失敗者とみなされ、救貧法や慈善活動の対象でしかありませんでしたが、20世紀初頭には社会が構造的に生み出す社会的犠牲者と見なされるようになりました。さらに20世紀半ばには、すべての市民・国民が最低限の生活を維持することを目的とする、普遍的サービスの提供が目指されました[*14-6]。日本でもそのような経緯が後追いされましたが、自己責任を強調する近年の風潮は、19世紀の社会に逆戻りしているようにもみえます。

 1980年代以降、日本でも新自由主義的制度や経済システムが形成されてきました。それによって経済活動が部分的には活性化したと思われますが、就業の選択肢はむしろ限定され、起業が推奨されるものの経営環境と競争はますます厳しくなってきています。それにもかかわらず結果の責任は個人に帰されるようになってきました。就業の選択肢が限定され、偏ってきたのはその時の時代背景によるものであり、やむを得ない面もありますが、時代背景の形成にほとんどの個人は責任を負っていませんし、形成の原因はあるはずです。その原因を解明し、対応することが将来の選択のためにも必要です。


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