1403 人口減少

 高度経済成長期以降、地方部では、若年層が都市部に流出して出生数が減りました。一方都市部では、流入した若年層の晩婚化や未婚化によって出生数が減りました。双方で子供数が減少し、若い労働力、練度を要しない労働に従事したり、低い賃金で働く労働力が減少してきました。2000年代からは、日本人の若年労働者や出稼ぎ労働者の代わりに外国人労働者が充てられるようになりました。

 日本の15歳から64歳の生産年齢人口率は、1950年ごろまでは60%程度でしたが、出生数の増加によって1960年代には70%近くに上昇し、2000年ごろまでは70%弱で推移しました。しかし、2000年代になって生産年齢人口数も比率も下降しました。さらに生産年齢前の15歳未満の人口比率も、1950年代までは30%以上、1965年でも25.7%でしたが、その後は低下し、2000年には14.6%となりました。高度経済成長期の日本は人口ボーナス期にありました。しかしその後は、その逆の人口オーナス期に入っていきました。1970年代からは、長寿化とともに65歳以上人口が徐々に増加しており、社会保障費が増大し続けています。

 
 図 生産年齢人口(15-64歳)と従属人口

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2008年の1億2808万人をピークとして人口は減少し続けます。その原因は、晩婚化・未婚化、女性一人当たり出生数の減少です。これらの傾向は都市部から全国に広がっていきましたが、地方部においては若年層自体が少なくなっていたことも、出生率の低下に拍車をかけました。

 沖縄県の出生率の高さは突出していますが、全国的にみると、都市部では、出産年齢の15~49歳の人口は多いものの合計特殊出生率が低く、地方部では、合計特殊出生率は比較的高いものの15~49歳人口率が低い状態です。さらに2015年の合計特殊出生率は全都道府県で2未満であり、沖縄県であっても人口増加は見込めません。そのなかで地方部から都市部に若年層が流入するならば、流出した地方部では高齢化と人口減少がいっそう進行します。地方部から都市部への流入が先細るのは自明です。

 子供数の縮小の背景の一つは人びとの意識の変化です。かつて世帯と親にとっての子供の出生には、「イエ」を守り継承するという意識や、親が隠居後の扶養を期待したり、農家などでは家族従事者としての役割といった、その時代の社会背景や社会的立場に由来する動機があったとみられます。しかし戦後には社会保障制度も整備され、とりわけサラリーマン世帯では、扶養や家族従事者などを背景とする意識は希薄となりました。今日において子供数は、個人的な動機、意識によって決められるようになりました。

 また、快適・便利でコストのかかる都市生活のスタイルは、物価と賃金が比較的低い地方部にも浸透していきました。例えば都市で普及していたファッションや食事、文化・余暇活動の情報がマスコミなどによって伝えられたり、それらを提供する店舗・事業所が地元に展開するようになりました。地方部でも都市的な生活スタイルが取り入れられるようになり、家計支出が増えて子供数が抑制されたと推定されます。さらに、インターネットによって一人一人が全世界の情報にアクセス・発信できるようになり、通販によってどこにいても望む商品を入手できるようになると、生活スタイルの地域差はいっそう縮小しました。

 15歳から49歳の出産年齢人口の減少と、出産に対する意識や出産に関わる生活意識の変化は、長期的な傾向であり、その傾向がとどまったり方向が変わる兆候はないようにみえます。とすれば、人口の減少傾向は続いていく。人口減少を前提とする仕組みを準備する必要があるのではないかと思われます。


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