1402 大都市圏の都心と郊外

 大都市圏内では、高度経済成長期には都心から郊外方向への人口移動が発生し、都心の空洞化が発生しました。しかし2000年以降は逆に、郊外が空洞化して都心に人口が増加しています。子供のいる世帯がその中心であるとみられますが、高度経済成長期と2000年以降とで、住宅を取り巻く地域環境と、世帯自身の性格に変化があったことが、そのような逆の動きを生みました。

 高度経済成長期の東京や大阪の都心部や既成市街地は、オフィスビルや工場など業務用途の利用が主で、その周辺の住宅地は古くて道路整備が不十分で建物が過密状態であり、しかも住宅は狭小のものが多く、借家は高家賃でした。高度経済成長期には都心・市街地が空洞化し、郊外住宅地が盛んに開発されました。多くの世帯が、環境が良く、地価も安い郊外に住宅を求めることは当然の成り行きでした。

 当時、郊外に移動した世帯は、もともと都心・市街地に居住していた世帯の転出だけでなく、世帯分離、あるいは地方部などから都心・市街地に転入してきていた人口です。郊外住宅地は、都心・市街地の居住機能や生活環境が時代の要求に対して劣ってきたために、その代替地となったという側面もありますが、それとともに、大都市圏へ大量に転入した人口のための住宅地という側面も大きかったと考えられます。

 一方で、都心や既成市街地は、住環境や快適性の点では郊外に劣っていましたが、1960年ごろから各地で市街地の再開発事業が計画され、市街地整備や道路整備、建て替えなどが施行されました。1980年前後からも各地で、都心や市街地の住宅系再開発が試みられるようになっており、1980年代後半からは、都心近くの臨海地域に、緑の多い良好な住環境を備えた住宅地が開発されたりもしました。市街地整備や環境改善、土地利用転換などの事業が着実に行われて、経済活動がやりやすい環境が形成され、同時に文化的環境や生活環境も著しく充実するようになっていきました。

 都心や市街地の住宅地開発が進んだのは、バブル経済の崩壊がきっかけでした。事業計画や転売が資金難によって頓挫し、都心やその周辺の比較的便利な土地にマンションが供給されるようになりました。また1997年ごろからは、高層住宅誘導地区の導入や不動産信託などの手法によって都市の活性化が進み、都市と都心は魅力的なものとなりました。都心・市街地の居住機能も認識されるようになったといえます。

 一方で、世帯側の変化も居住地選択に影響を与えました。高度経済成長期の世帯はサラリーマンの核家族が主体で、子供数は2人が標準でした。都心や市街地には床面積と価格・家賃の適当な住宅が少なく、大半は郊外の一戸建てや分譲マンション、公的賃貸住宅に住みました。また専業主婦の場合が多く、買い物などに多少不便な郊外であっても、生活に大きな支障はなかったと考えられます。主婦が就業する場合はパートがほとんどで、職場は家事・育児に支障のない近所に求めたと思われます。地方部では、市街地が狭いために専業主婦であっても通勤は容易です。しかし大都市郊外では、専業主婦が就業できる範囲と機会は通勤時間や交通手段によって限定されました。

 1980年代に共働き世帯が専業主婦世帯を上回りました。なかでも仕事を主とする主婦が増えてきました。1990年代から登場した都心やその周辺市街地の分譲マンションは、通勤の悩みを解消するものでした。都心マンションが供給されるようになると、都心などに勤める共働き世帯はもちろん、専業主婦の世帯も都市の利便性・快適性を求めて入居しました。その際に、郊外にくらべて高い分譲価格を負担できる所得のあることが条件となりますが、低金利の住宅ローンが分譲マンション取得を後押ししました。とはいえ、その後の給与の伸びは高度経済成長期にくらべて低調で、なかにはローン返済によって、家計の余裕がない世帯も多かったとみられます。

 都心・市街地に転入した若年層を主とする世帯は、通勤と生活の利便性や、子供の教育環境、文化的環境、友人などとの交流などのアクティビティのための環境を希望しているとみられます。そのような願望に応えやすいのはたいていの場合は都市環境です。収入と仕事、快適で充実した生活環境を重視した場合、都心・市街地以外の選択肢は少ないと思われます。

 1990年代からの大都市圏内での人口動向は、大都市圏としての人口が比較的安定している中での転居や世帯分離によるものです。都市圏内で以前のように世帯が著しく増加することはなく、郊外住宅地に発生した空き家・空地が再利用される可能性は低いとみられます。都心などへの人口偏在が進めば、高齢化にともなって郊外住宅地が空洞化するのは自然の成り行きといえます。

 郊外住宅地を、高度経済成長期に人口が流出した地方部とくらべると、当時の地方部には農業や地場産業などがあり、外部のサービスや設備などの環境に多くを依存する生活スタイルではありません。親戚や親近者も多く、地域内で比較的自立的に生業や生活を行い、地域としても維持することができました。今日の地方部でも、人口は減少しましたが、活用できる資源が存在し、外部環境に全面的に依存してはおらず、ある程度の自給自足が可能です。一方で、都市部のほとんどの郊外住宅地は居住機能に特化していて、多様なサービスや設備、施設に生活の多くを依存しています。地方部のような生産・生活資源に乏しく、居住者の地域とのつながりもさほど強くはなく、親近者も少ない状況です。人口流出が進めば、生活に必要な環境を維持することがむずかしくなり、空洞化し放置されるおそれが強いとみられます。現在の都心・市街地と郊外との関係は、高度経済成長期の都市部と地方部との関係にも似ていますが、内実には大きな相違があります。

 都心・市街地と郊外との人口分布の変化は、保育園や小学校、公共施設などの整備にも影響を与えます。高度経済成長期には、郊外住宅地の増加に小学校や道路などの整備が追いつかず、自治体は対応に苦慮しました。2000年以降にも、都心マンションの増加に保育園や小学校が不足する事態が生じました。過去の経験からは、人口増加に対処して施設整備をしても、人口構成の変化によって一定期間後には、施設に余剰が生じることが推測できます。


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