0605 地域コミュニティの希薄化

 1960年代から人口の郊外転出や工場の市街地からの移転が顕著になると、中小企業や自営業者なども市街地から少なくなりました。

 企業が都市部に立地するメリットは関連企業が近くにあるという集積の利益や、社会資本が整備されていることで、デメリットは工場などの拡張が困難なことです[*6-22]。また周辺環境への配慮が求められる工場もありました。市街地の中小企業は、現状維持のまま地域に残るか、事業拡大のために転出するかの選択をしました。新規参入する企業もあったでしょうが、転出や廃業によって市街地の中小企業、自営業者は減少していきました。さらに、1990年ごろからは個人経営の小売商の存続も難しくなり、廃業や転業、コンビニエンスストアの系列に加入するなどの変化が進みました。「就業構造基本調査」によると、就業者中、非農林の自営業者と家族従事者とを合わせた比率は1959年には約16.6%でした。1980年代から低下し始め、2007年には10.5%となりました。

 自営業者や中小企業、小売店は地域と強いつながりがありました。かれらにとって、地域コミュニティは仕事の場であり、居住の場でありました。仕事上の付き合いや助け合い、顧客との付き合い、仕事に伴う近隣トラブルへの対応など地域住民との付き合いが不可欠です。町内会などへも積極的に参加する傾向にあります。かれらの営みこそが地域を形作っていたともいえます。

 江戸時代には、武士以外の都市居住者や農村居住者は、仕事の場と生活の場とがほぼ一致していました。近代になってからも少なくとも戦前までは、生活は、狭域内の近隣や地域コミュニティに具体的に参加し、直接的な相互関係と協力・共同のもとで成立していました。自営業者らの多面的で重層的な関わりによって成熟した地域コミュニティが形成されていました。

 高度経済成長期以降、地域と深い関わりをもつ小売商などの自営業者が減少したことは、地域コミュニティに大きな変化をもたらしたと想像されます。さらに、近代化・都市化が進むにつれて、生活に必要なサービスは、自治体や地域の広域的団体・企業が提供するようになって、地域コミュニティの役割は小さくなっていきました。個人は地域コミュニティを越えて、地域、行政、団体・企業に依存する関係が生まれました。

 都市部の多数となったのはサラリーマンでした。かれらは地域コミュニティとのつながりは弱く、所属する企業・団体・組織への帰属意識の方が強くなります。生活基盤を、保有する土地や資産、家業ではなく、自らの労働に依存していました。農家や自営業者にくらべると、他の地域に転居することは容易であり、流動性に富んでいます。地域コミュニティに関して、サラリーマンは、仕事の場が地域外のため、地域の事情に疎いこともあります。とりわけ新興住宅地は居住するための地域であり、地域とのつながりは地元の小中学校に通う子供を介してや、個人的な知己関係が中心となりました。

 地域環境の問題が発生した際などにコミュニティの結束が図られる場合がありますが、都市郊外などの町内会・自治会は、近世都市や農村にあったような生活共同体的性格はなく、あるいは戦前のように行政的に位置づけられたものでもありません。行政と住民との連絡機能と、地域行事の実施機能、住民の親睦機能が色濃くなりました。さらにいずれの地域でも、地域の高齢化が進むと担い手が不足するようになり、地域との関わりがないという理由で町内会に加入しない世帯も生まれてきました。

 地域コミュニティの変化は冠婚葬祭にもあらわれています。かつて冠婚葬祭は、寺社で行うこともありましたが、たいていは自宅や地域集会場で行い、町内会・自治会などの地域コミュニティがサポートしていました。葬儀は、町内会の役員が取り仕切り、料理の準備や式の進行を近所の人びとが手伝っていました。しかし葬儀会館などで行われることが増えて、自宅で行うことが少なくなり、地域コミュニティとのつながりも薄れていきました。

 全日本冠婚葬祭互助協会のインターネットによるアンケート調査によると、1980年代までは自宅で葬儀を行う割合が50%程度でしたが、2000年以降は10%以下でした[*6-23]。自宅で行う割合が著しく少なくなっていることは明らかですし、その傾向は都市部でいっそう顕著であると考えられます。地域コミュニティの意義は、さまざまの局面で次第に希薄になってきました。


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