0804 住宅事情の改善

 1973年の「住宅統計調査」で、47都道府県すべてで住宅数が世帯数を上回ったという調査結果がでました。戦後の住宅不足が解消されたこととなり、1976年からの第3期住宅建設5カ年計画では、目標をそれまでの住宅難解消、戸数確保から住宅の質向上へと重点を移すことになりました。

 住宅着工戸数は高度経済成長期に急伸し、1972年に180万戸、1973年に191万戸に達し、その後1970年代は150万戸前後で推移しました。

 新設住宅の1戸あたりの平均床面積(総床面積/総戸数)は1950年以降、持家(注文住宅:「建築着工統計調査」では「持家」と呼ばれる)と分譲住宅は平均床面積を順調に拡大しました。持家は1970年代に100㎡を超え、分譲住宅は1980年代になって80㎡を超えました。貸家(借家)は1960年代には40㎡を下回りました。70年代後半に50㎡程度となりましたが、その後停滞しました。

 
 図 新設住宅の平均床面積(総床面積/総戸数)

 住宅は、滅失がなければフロー(新設)戸数がそのままストック(既設)の増加戸数となります。住宅フロー数(新設住宅。戸数は「建築着工統計調査」による)によってストック数(既設住宅。国勢調査の主世帯とする)がどの程度増えているかをみると、1960年代までは住宅不足を背景に、フローがほぼそのままストックの増加につながっていましたが、1970年前後からはフローの一部しかストック増加につながっていません。つまり一部の住宅ストックが利用されない、または滅失し、淘汰されていったと推定できます。

 
 図 住宅のストック(主世帯数)増減と新設戸数

 高度経済成長期の前半までの都市住宅は、種類は少なく、今日とくらべると水準も低いものでした。住宅の種類としては、持家としては町家やサラリーマンなどの一戸建て住宅、借家としては長屋や木造アパートぐらいで、公的借家として公営住宅や公団住宅が本格的にあらわれ始めたぐらいでした。1970年代には特徴的な住宅供給方式がいくつかあらわれました。それらは都市部の人口・世帯数の増加と、世帯の所得上昇や生活水準の向上、住要求に、それまでの住宅や住宅地が適応できなくなってきたために生じました。

 分譲住宅は1960年代後半から目立つようになり、1970年代以降は毎年30万戸前後の新設戸数を保つようになってきましました。持家も借家も、かつては建て主の注文によって建てることが一般的でした。分譲住宅や建売住宅は明治時代末期以降にあらわれました。既製品としての中古住宅の売買は以前から行われていましたが、新築住宅が、見込み生産によって、つまり既製品として不特定多数の顧客を相手として商品として扱われるようになりました。住宅の商品化は近代的な供給形態といえます。

 分譲住宅には分譲マンションと一戸建て住宅があります。1960年代までは一戸建て住宅が大半を占めていました。一方の分譲マンションは、初期には都心に立地し、比較的高所得層が居住していました。しかし1970年代に郊外にも分譲マンションが登場しました。分譲マンションの価格が手頃となり1972~1973年の第3次マンションブームが起きました。このころから分譲マンションと一戸建て分譲住宅との新設戸数の差が小さくなりました。そのために、都心の、利便性は高いが狭くて古い、あるいは住環境の劣る住宅から郊外住宅への住みかえが加速しました。


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