0907 バブル崩壊

 バブルによる経済過熱を抑制するために、1989年から数回にわたって公定歩合が引き上げられました。国は、1990年から不動産融資の総量規制を始めるとともに、1992年には、一定以上の土地を保有する個人・法人に対して地価税を導入し、1998年まで課税しました。それらによって銀行融資が縮小し、バブル経済は終焉しました。地価は1992年に、6大都市圏住宅地で17.9%、全国の住宅地でも2.5%下落し、その後2000年代始めまで下がり続けました。バブル経済期までに計画されていた開発計画の多くが、社会環境の激変や資金調達のめどが立たないなどの理由で行き詰まりました。

 図 地価と名目賃金(2000年を100とする)

 さらに、すでに分譲していた分譲住宅・住宅地で、売れ残った物件を当初価格よりも値引きをして販売することもありました。これに対して、当初価格で購入していた入居者が、差額の返金を求めました。要求に応じる場合もありましたが、応じない場合に販売者を訴えるというトラブルも起きました。裁判で入居者の要求が認められることはありませんでしたが、地価や住宅価格の激変がさまざまの混乱を招きました。

 地価や物件価格が下落すると、購入を手控えていた中間所得層などの持家志向層で、徐々に持家需要が回復していきました。一方で売り手側には、事業目的で購入していた土地の保有期間が長引けば金利と租税負担が膨らむために、急いで売却をしたいという事情があります。1991年から1992年の分譲マンション発売戸数は大幅に落ち込みましたが、その後は、都市近郊の便利なところに、住戸規模が大きく、高品質の設備をもった分譲マンションが、ピーク時の7割程度の価格で供給されるようになりました。

 
 図 分譲マンションの圏域別新設戸数

 1990年代を通して分譲マンションの平均床面積は拡大し、首都圏ではバブル経済期は平均で60㎡台でしたが、1990年代半ば以降は東京23区外の首都圏では70㎡から80㎡程度に、23区でも70㎡前後になりました。近畿圏でも、バブル経済期に70㎡前後に達して、その後は70㎡から80㎡で推移しました。また、分譲マンションの設備も、1980年代からシステムキッチン、温水洗浄便座、洗面化粧台、浴室の追い焚き・自動湯はり機能、さらに食洗機や高級感のある仕上げ材、床暖房などが備えられるようになりました。それらの設備は、普及するにつれて、購入者にとっても販売者にとっても、標準的あるいは望ましい設備として認識されるようになり、結果として、住宅の質は高度経済成長期よりも向上することとなりました。

   
 図 新規分譲マンションの平均床面積と平均価格(首都圏)  図 新規分譲マンションの平均床面積と平均価格
   (近畿圏)


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