0705 少子化

 出生率低下は東京都が先行していましたが、その傾向が全国に広がっていきました。出生率は団塊の世代が生まれた1940年代後半に人口千人当たり30人を超えましたがその後は低くなっていきました。合計特殊出生率も、1947年に4.54でしたが、次第に小さくなり、1957年に2.04となりました。その後は、丙午の1966年の1.58を除けば、2.0をやや上回る程度で推移しましたが、1975年からは2.0を下回り、さらに1990年代からは1.5を下回ることとなりました。

 図 特殊出生率
 図 都道府県別合計特殊出生率

 1956年度版「厚生白書」[*7-11]は、「・・・戦後における多数の在外邦人の引揚、ベビイ・ブームの発生によって人口の増加は促進され・・・戦後における国民経済の発達は著しいものがあったが、この人口の増加、人口構造の変動は、ややもすれば国民経済発展の重荷となって、国民の生活水準を圧迫し、・・・解決の急を訴えるに至ったのである。」としたうえで、「戦後わずか10年の間に、わが国の人口をかくも少産少死型に転換させてしまった条件」として、「死亡率を急激に低落させたものは、社会保障制度・・・と、医学および公衆衛生の驚異的な進歩」であり、「出生率を急激に低落させたものは、いうまでもなく、国民の出生抑制の努力である。」と述べています。

 また1958年度版の「厚生白書」[*7-12]は、出生率の急激な低落について「国民生活の近代化の反映としての出生率の低落と、国民の経済生活における窮乏との関連において現われる低落との両者が、重なり合って激化された形で示されたものと見ることであろう。」とみています。

 1956年11月21日付の朝日新聞[*7-13]は「盛んな大会社の家族計画」の見出しで、「『生みたい時だけに子供を産み、生まれた子供は立派に教育しよう』という家族計画の運動が起こってから、ちょうど五年になる。いまでは正しい避妊の普及率は全国で四割を越えようとしている。しかも、ちかごろは大きな会社や工場自身がぞくぞくとこの運動をとりあげるようになった。」と報じています。

 国の人口政策委員会は1946年に、産児制限を消極的に容認するという基本的な態度を明らかにしました[*7-14]。また子供は2~3人が理想とする新聞記事もありました[*7-15]。少子化は、高齢化と関連付けられて少子高齢化が問題とされるまでは、むしろ好ましい、あるいはやむを得ないと認識されていたようです。

 かつての農家では、農作業の家族従事者はある程度多い方が好都合でした。しかし都市人口が増えると、その主体であるサラリーマンにとっては、家族従事者はさほど重要ではありません。また戦前の民法の下では嫡男による家督相続が行われ、「イエ」の継続性が重要性をもつとともに、嫡男が親を扶養することが当然でした。しかし戦後民法の下で家督相続が廃止されて、子供がそれぞれ独立した世帯を形成することになり、嫡男が親を扶養する建前はなくなりました。結果として、子供数も三世代家族も少なくなったと考えられます。

 1970年の研究[*7-16]では、「・・・親子関係、直系家族制度も戦後急速に変化し、いわゆる『核家族』が増え、・・・親側も、老後の扶養について、次第に子供をあてにしなくなりつつ」あり、「子供に財産をのこすという考え方も、わずかずつではあるが、減少傾向」にあるとしています。

 同研究では[*7-17]、1970年ごろの状況について「共かせぎあるいは晩婚であっても、少なくとも1児だけは得たいとの意欲を示唆しているが、反面、3児以上への出生追加、とくに30歳以上の層におけるそれは、1/6以下に急減して、1~2児への集中化が如実に観察できる」。また「妻の年齢別特殊出生率を見れば、初婚年齢はほぼ変わらないのに、非就労の妻に対し就労の妻は、20歳代で5割以下、30歳代では3割以下の低出生ぶりを示」しており、「・・・昭和37年には生活水準が戦前の約2倍に達し、その後も引き続き国民所得は増加しつつあるのに、皮肉なことには、この時期が最も低出生であり、かつその低出生が停滞している」[*7-18]と記されています。

 断るまでもなく、このような意識の変化は女性だけにあったのではなく、夫婦に共通であり、社会的に是認されてきたものです。家族計画は戦後の経済的困窮をしのぐとの名目で始められましたが、高度経済成長とともに生活の質向上を願う世帯の内発的、あるいは合理的な判断によるものとなったと考えられます。

 1971年度版「厚生白書」[*7-19]は、1960年以降平均世帯人員が縮小していると指摘し、さらに「一人っ子」が増えていると推定しています。実際の推移を「出生動向基本調査」でみると、結婚持続期間15~19年の夫婦(既婚女性)の子供数である完結出生児数は、1940年に4.27人、1952年に3.5人でしたが、1972年に2.2人となり、2005年までは2人以上を維持しました。2人を下回ったのは2010年です。

 
 図 完結出生児数(結婚後15~19年の夫婦の子供数)

 同白書は、子供数が減少した背景として、「住宅事情、所得状況などさまざまあるが、大事に育てたいという意識の反面夫婦中心的な傾向があることを見のがせない。」「かつての直系家族的生活様式のもとでは、家庭内の誰かが・・・役割を分担していたが、現在の若い夫婦は、かつて他の世帯員が分担していた役割のすべてを担いきっていないようである」とし、社会の「変化に対応した新しい家庭がまだ十分に定着していない」と指摘しています。

 さらに、1989年度版「厚生白書」[*7-20]によれば、理想の子供数を3人としながら実際には第3子を設けることをためらう夫婦が多く、その理由は「一般的に子育てにお金がかかるから」、「教育費が高い」、「育児の肉体的・心理的負担」が多くみられ、それ以外に「自分の仕事に差し支えるから」や、都市部では「家が狭いから」があげられています。


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