0806 豊かさの多様化

 高度経済成長末期の1971年には、為替が変動相場制に切り替えられた影響もあり、輸出が停滞し、国内経済の回復のために財政支出と公共投資による景気刺激策がとられました。これにより株価や地価が急上昇し、急激なインフレと買占め、買いだめによる物資不足が起き始めていました[*8-15]。さらに1973年10月に、産油国が原油価格引き上げを決定(第1次石油危機)し、そのために紙製品が品薄になるとの噂をきっかけに、トイレットペーパーの買いだめが起きました[*8-16]。

 1974年の消費者物価上昇率は23%に達し、時の福田赳夫蔵相は、物価は狂乱状態と述べました[*8-17]。1973年から金融引締めが進められ、経済は不況に転じました。その後、日本の経済活動は安定・停滞期に入り、企業の合理化がさらに進められました。

 
 図 消費者物価指数(2015年を100)

 しかしその後も1980年代後半のバブル経済期まで、経済成長率は5%程度を維持し、生活面あるいはライフスタイル面では高度経済成長期の豊かさの追求が、多様化、高品質へと変質しながら続きました。日本はかつてない物質的豊かさ、あるいは物による豊かさを享受しました。物による豊かさは、横並びの画一的な豊かさから、多様で個性的な豊かさへと展開していき、精神的豊かさや個性、自分らしさなどに価値が見いだされるようになったと思われます。とはいえ、だれもが個性的だったのではなく、実際には『“分衆”の誕生』で提示されているように、革新的な消費者や、保守的消費者などのさまざまの消費者が混在し、一部の先駆者に他の大多数が、思い思いに追随するという形で流行が形作られていったと思われます[*8-18]。

 1960年代までは、画一的な枠組みの中で、横並びの豊かな生活を獲得することが目標とされ、人びとの間には消費生活に関する共通の認識、価値観がありました。1970年代から80年代には、横並びの目標から解放され、多様で思い通りの、自由な消費生活が容易になりました。そのことによって、消費生活に関する共通の認識、価値観が拡散的で希薄となり、生活目標やよりどころもあいまいとなることもあったのではないでしょうか。1990年ごろから、「自分探し」がマスコミでしばしば取り上げられるようになりました。

 一方で、経済活動とりわけ金融の分野においては、1980年ごろから自由市場論が勢いを増しました。規制は最小にして、それぞれの主体が自由に利益を追求すれば、全体として最良の結果が得られるとの考え方です。個人の選択や価値観の自由を重視するという考え方は、経済活動だけでなく生活や社会自体にも存在感を増してきたように思われます。ただしそれと表裏の関係として、自由な選択の結果に対しては自己責任が強調される風潮が強まってきました。

 個人的自由は、他者や社会とのかかわりがある場合には、社会規範の枠組み内での自由であると、法的にはもちろん社会的にも理解されています。しかし自由と自己責任が強調されると、自由と責任とが社会と切り離され、社会規範がないがしろにされる可能性も高まります。共通の社会規範や共通認識が定着している社会では、社会規範から逸脱した行為はまれでしょう。しかし社会規範の存在感が希薄になると、社会規範から逸脱した個人的自由が生じやすくなります。あるいは、社会規範自体が、社会的な活動領域や世代によって多様化し、局所化していきます。1980年代以降は、それまでの規範や規制から、自由と自己責任が色濃くなりましたが、同時に不安定感や不透明感も強まってきたように思われます。

 1970年代に生まれた世代は「団塊ジュニア世代」を含む世代です。子供時代を豊かな時代に過ごしましたが、バブル崩壊後の約10年にわたる就職氷河期に遭遇し、後に「就職氷河期世代」とか、新聞の特集記事で「米国で第1次大戦後に青年期を迎え、既存の価値観を拒否した世代の呼び名に」ならって「ロストジェネレーション」とも呼ばれました[*8-19]。この世代は、豊かさとともに自由で多様な価値観のなかで成長したともいえます。が、青年期に達したころは、経済活動の合理化・縮小が進んだ時代でもありました。それまでの生活体験や生活価値観と、社会・経済の閉塞状態とのギャップが著しく大きかったといえるかもしれません。


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