0703 経済の東京一極集中

 高度経済成長期の後半から1970年代にかけての経済・社会は地方分散の流れをもたらしましたが、その社会背景はさらに変質していきました。1980年代には、経済活動の東京一極集中が顕在化したといわれます。1996年7月23日付けの日本経済新聞[*7-5]は、「モノ作りでは“規模の経済”が働くが、製造業の過度の集積はむしろ外部不経済を大きくし、製造業の地方分散を促したのが70年代までの流れであった。
 こうした傾向を逆転させ、東京一極集中を加速させたのが経済のソフト化、情報化であった。鈴木俊一都政が東京をニューヨーク、ロンドンと並ぶ金融情報センターと位置付け、世界都市東京の中核として臨海副都心開発計画をぶち上げた時期に符合する」と分析しています。

 鈴木都政は1979年から1995年の、4期16年に及びます。1985年には第四次全国総合開発計画の作成作業のなかで、東京と地方の機能分担に関して、製造業は地方分散しているが、中枢機能や金融機能、国際機能などが東京に集積しているという認識を示し、国際化時代に向けて東京の役割を重視すべきと主張しました[*7-6]。鈴木都政は、東京を国際化にふさわしい場とするために、東京都庁舎(1991年)や東京国際フォーラム(1997年)などの施設を整備し、臨海副都心の開発(1989年開始)を行いました。

 「事業所統計」によると、1981年の全国の企業数は119万社で、2012年には52万社増えて171万社となりました。そのうちの東京都の増加数は約1万社であり、埼玉県や神奈川県、愛知県、大阪府でそれぞれ3万社以上増加しているのにくらべて、大きく下回っています。

 ところが、資本金1億円以上の企業に限ると、全国で13,195社増えているうちの4,569社が東京都であり、2位神奈川県の899社を圧倒しています。さらに資本金50億円の企業では、全国で増えた1,467社のうち、そのほぼ半数の772社が東京都で増えており、大阪府の113社を引き離しています。

 
 図 資本金50億円以上企業の増減数(1981年から5年毎の増減)

 企業数の地域変動は産業別にも特徴があります。製造業と商業、金融・保険業に絞ってみると、製造業については、東京都の企業数は減少しています。また資本金が1億円以上の製造業企業は、1,921社から2012社に91社増加しているものの、神奈川県の245社や愛知県の213社の増加には及びません。ところが50億円以上の企業は、206社から401社に195社増加しており、大阪府の45社を上回っています。

 商業に分類される企業は、1981年から2012年にかけて全国的に減少し、東京都でも2万社以上減少しました。ところが資本金1億円以上の企業は、全国で1,851社増加したうちの824社が東京で増加しており。50億円以上では、231社のうち東京都が129社です。

 金融・保険業では東京集中がいっそう顕著です。資本金1億円以上では、590社が全国で増加していますが、そのうち434社が東京都、50億円以上では192社のうち137社が東京都です。

 1996年から2016年にかけて、ほとんどの都道府県、産業、資本金区分で企業数が減少しました。この間に、合併や統廃合を含めた企業の合理化が盛んだったことがうかがえます。ところが東京では企業が増加し、大阪府や愛知県では停滞し、企業などの流出も起きました。

 1985年6月30日の日本経済新聞[*7-7]は、豊田商事やトヨタ自動車などの企業に、中枢機能や研究開発機能を東京に移す動きがあることを報じています。また同年9月22日の日本経済新聞[*7-8]は、地方の企業が東京に本社を移転しているとして、「東京に進出する利点として挙げられているのは(1)巨大市場の中心である (2)全国の営業網を指揮するのに有利 (3)営業活動や商品開発のための情報が豊富 (4)企業イメージが上がり海外企業との取引にも有利 (5)優秀な学生を採用しやすい-などだ」と指摘しています。

 関西でも同様で、1988年3月31日の日本経済新聞[*7-9]は、関西企業で「名目上は関西に本社を置いても、実質面では東京に重点を置くという『空洞化』現象が深刻になっている」として、松下電工(現・パナソニック電工)や立石電機(現・オムロン)、シャープ、三洋電機(パナソニックに併合)などで、中枢機能を東京にも設けるようになったと報じています。

 企業の中枢機能などの東京への展開、集中はその後も続きました。東京に中枢機能の一部を移転しても、軸足は地元に置く企業や、地元に帰る企業もありますが、例えば、関西の代表的企業だった住友グループのいくつかの企業や、伊藤忠商事、兼松、トーメンなどの商社、神戸製鋼所、川崎重工業などが、東京に展開しました。

 1960年代後半から全国の交通機関ネットワークが整備され、地方部の利便性が向上しました。地方部での産業立地政策もあって、地方部が活性化し、1970年代には人口の都市集中、東京集中はいったん沈静化しました。しかし交通機関ネットワークは、幹線や大都市を基幹とする階層構造であり、大都市ほどその効果を享受したともいえます。1980年ごろからは経済活動の東京シフト、集中が進んでいきました。


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