第3部 安定成長期からバブル経済期

07.地域構造の変化

0701 全総・新全総「地域格差の解消」

 高度経済成長期には都市部に人口や産業が集中し、生活環境の悪化などのさまざまの弊害も生じました。これに対処するために、高度経済成長期の1962年に全国総合開発計画(全総)が策定されました。全総では都市への人口集中や経済成長を背景として太平洋ベルト地帯の拠点開発を主眼として、「都市の過大化による生産面・生活面の諸問題、地域による生産性の格差について、国民経済的視点からの総合的解決を図る」ことを基本目標としました。また同年に制定された新産業都市建設促進法によって全国で工場誘致が行われました。

 全総の7年後、1969年に新全国総合開発計画(新全総)が策定されます。人口・産業の大都市集中や情報化・国際化・技術革新と高度経済成長期の活況を背景として、交通機関のネットワーク整備などによって高度利用の偏在や地域格差を解消しようとしました。基本目標を、「基本的課題を調和しつつ、高福祉社会を目指して人間のための豊かな環境を創造する」こととし、基本的課題として、「1.長期にわたる人間と自然との調和、自然の恒久的保護、保存、2.開発の基礎条件整備による開発可能性の全国土への拡大均衡化、3.地域特性を活かした開発整備による国土利用の再編成と効率化、4.安全、快適、文化的環境条件の整備保全」がうたわれました。

 新全総は、地方に「新交通通信体系を整備することで、国土の均衡ある開発の基礎条件を」つくるとしました。このころから地方部の交通利便性が飛躍的に向上し、1970年代後半には三大都市への転入超過は小さくなりました。しかし一方で地域間の交流、とりわけ都市部と地方部との交流が格段に便利になると、都市部の経済活動や文化、情報が地方部に浸透していきました。再開発の建物や国鉄の駅舎がどこの地域でも同じデザインであると指摘されたりし、1980年代には「ミニ東京化」や地域性の喪失が危惧されるようになりました。また経済合理的な変化が起きやすいようになってきました。

 最初の東京オリンピックが開催された1964年に東海道新幹線が開業しました。山陽新幹線は1967年に着工され、1975年に全線開業しました。東海道新幹線の予想を上回る効果を受けて1970年に全国新幹線鉄道整備法が施行されました。またこれより先の1957年には国土開発幹線自動車道整備法が、「国土の普遍的開発をはかり、画期的な産業の立地振興及び国民生活領域の拡大を期するとともに、産業発展の不可欠の基盤たる全国的な高速自動車交通網を新たに形成させるため、国土を縦貫し、又は横断する高速幹線自動車道を開設し、及びこれと関連して新都市及び新農村の建設等を促進することを目的」として制定されました。同法は幾度もの改正が行われ、地域の要望を受けて道路網が形成されていきました。道路網の整備は1960年代までは停滞しましたが、1970年代から活発に行われるようになりました。

 
 図 道路実延長

 これによって国内の貨物輸送手段として自動車が使われるようになりました。1950年代前半は鉄道(大半は国鉄)が400億トン・km程度、海運が300億トン・km程度で、自動車輸送は10億トン・km程度に過ぎませんでした。個人貨物の輸送は、郵便小包か国鉄が扱う手小荷物輸送ぐらいしかなく、今日からみるときわめて不便でした。しかし1960年代から自動車輸送が増加しはじめ、1985年度には海運を抜いて、2,000億トン・kmに達し、2007年度には3,500億トン・kmになりました。一方で鉄道は1980年代以降200億トン・km台で推移し、海運も2,000億トン・km台で上下しています。1976年に宅急便が生まれたことが象徴するように、物流で自動車が主役となりました。

 図 輸送機関別国内貨物輸送量


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