0504 食生活の変化

 戦中から戦後しばらくは、米は不足しており配給制でした。1942年の食糧管理法によって米などの食糧は国によって管理され配給制となって、米については米穀通帳が各家庭に配布されました。しかし1955年には米の生産量が戦前を大きく上回る1,207万トンになりました。一方で1947年から学校給食が本格的に始められました。1949年に脱脂粉乳が、1950年にパン食が導入され、1952年には全国の小学校で給食が実施されるようになりました[*5-19]。

 この間の事情について1956年「国民生活白書」[*5-20]には、「戦前には・・・われわれの生活の中心は米食にあった。敗戦で朝鮮、台湾を喪失してヤポニカ米はほとんど入らなくなり、これに代わって南方のインデイカ米と小麦粉とが輸入されるようになった。特に小麦の輸入が増加し、その結果パン食とめん食が普及して、粉食率は戦前の6%から18%と3倍に増加した。これにともなって牛乳、バター、チーズ、紅茶、コーヒーなどの消費が増加し、さらに油脂類や、肉や卵の需要が増大し、わが国の食構造は大きな変革をとげた」とあります。

 給食以外の外食も増えてきました。1961年7月26日付けの朝日新聞[*5-21]は、「総理府の家計調査をみても、外食者は年々ふえています。レジャー・ブームとかで外歩きする人が多くなり、外で食事をする回数がふえたことにもよりましょうが、一方、セールスマンなどの外勤者がめっきり多くなったせいもあるようです」と記しています。

 1968年2月27日付けの同紙[*5-22]では、「私たちの暮らしのなかで、最近とくに目立つ変化の一つは、・・・外食がふえたことである。戦後、学校給食が全国でおこなわれ、社員食堂や工場給食が広まった。一方、家庭の側から見ると、主婦の労働を節約するため、多少割高についても外で食事をするという気風が強まっている。・・・生活総合調査の結果によると、15歳から55歳の男子の昼食は30-50%近くが外食だった」とされています。1960年代に外食が一般化したと考えられます。

 米については、1967年に自給率が100%を超えて米が余るようになりました。古米、古古米が増加し、米の買取りによる赤字で食糧管理会計が厳しくなりました。米穀通帳の廃止も検討されましたが、結果的には政府管理は存続し、同時に、自主流通米制度が1969年に設けられました。さらに1970年に米の生産調整が始まりました。すでに米穀通帳は役割を失っていましたが、1982年の食糧管理法改正まで発行が続けられました。

 1969年には、第2次資本自由化によって食堂業が自由化されました。それをきっかけとして、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドハンバーガー、ミスタードーナツといった海外のファストフード店が、日本企業と合弁・提携して日本に店舗展開をするようになりました[*5-23]。ケンタッキーフライドチキンは、1970年に日本万博会場での実験店の後に名古屋市で1号店を開店しました。1971年には日本マクドナルドが銀座に1号店を、ミスタードーナツが大阪府箕面市にパイロットショップを開店しました。

 同時期の1970年代にファミリーレストランが開店しました。1970年にすかいらーくが東京都府中市に、1971年にロイヤルホストが福岡県北九州市に、1974年にデニーズが神奈川県横浜市に、それぞれ1号店を開店あるいは試験開店しました。

 ファストフードについての1972年10月6日の朝日新聞記事[*5-24]は、そばの立ち食いは生活感がにじみ出て哀感があるが、ファストフード店の飲食行為は「見る・見せる・見られる」ための「ファッション・フーズ」と呼ぶ人もいると記しています。

 「家計調査」によると、消費支出のうちの食料費比率は低下し続け、1990年代には25%以下となりました。そのなかで外食費比率は、全消費支出に対しても徐々に上昇し、1980年代からは4%程度を維持していました。食料費のうちの外食費は、1955年は4.1%に過ぎませんでしたが、1970年に8.9%、1980年代後半に15%を超えました。1990年代以降は17%前後に推移しています。

 図 外食費比率

 外食の中心は、食堂・レストランやうどん店、寿司店などの飲食店です。外食産業のなかで、飲食店の売上は1975年で39%、2018年に56%に増加しています。一方で、喫茶・居酒屋と料亭・バーは徐々に縮小し、宿泊施設は、バブル経済期の1980年代後半から1990年代にかけて拡大しましたが、その後は縮小しました。しかし、外食に対して中食(なかしょく)といわれる料理品小売業の売上は、1990年代後半に急速に増加し、外食売上総額に対する比率は2017年に30%に達しました。

 
 図 外食産業市場規模

 食料品の需要も、米と野菜中心から牛乳・乳製品や肉類などの増加が目立ってきました。1960年ごろの1人当たり年間の米の需要量は120kgで、野菜は100kg程度、牛乳・乳製品は20kg程度、肉類は5kg程度でした。しかし米の需要量は毎年マイナス1~2kgのペースで急速に減少し、代わりに牛乳・乳製品の需要量が毎年2kg以上のペースで急増しました。また肉類も、豚肉、鶏肉などの需要が徐々に増加しました。

 小麦の一人当たり年間需要量は1960年代後半から30kg程度です。小麦の加工品であるパンについては、給食用パンの生産量は1970年ごろから減少しました。食パンは1980年代前半までに急増し、1990年代に減少しました。食パンに代わって増えたのは菓子パンと惣菜パンなどのその他のパンです。主食や食事としてだけでなく、嗜好品としての役割が浮上してきました。

 
 図 1人当たり年間食品需要量

 1950年代は戦争によって農業生産が後退して主食である米が不足し、それ以外の作物も乏しい状況でした。農家は増産に励み、消費者は米と野菜を必死に手に入れてようやく飢えをしのぐ生活を送っていました。1960年ごろからは米不足が解消し、パンや牛乳・乳製品、肉類などが手に入れやすくなりました。1970年代からはファストフードやファミリーレストランなどの新しいスタイルの飲食店が登場して、それまでと異質の食文化が生まれてきました。飲食は、少なくとも戦中と戦後の一時期、大半の人びとにとって生存のための行為であり最小限を手に入れることが精一杯でした。しかし食糧事情が改善し、多様な食料を入手可能になると、次第に嗜好の側面が拡大し、ファッションなどの情報発信の一部にもなってきました。


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