0102 戦前の職業構成

(注:本項は、国勢調査の昭和5年「職業(小分類)別人口」と、昭和15年「現産業(中間分類)、前産業(中間分類)、年齢(10歳階級)および男女別有業者数(銃後人口)」による)

 1930年の就業状況は、人口に対する有業者率は男性が59%、女性が33%でした。男性の有業者率は大阪府が65%、東京府(1943年に東京都)が63%など、都市部でやや高いものの道府県の差は大きくはありませんでした。しかし女性では逆に、都市部の東京府や神奈川県、大阪府などが20%程度と低く、山陰地方や四国地方、九州地方南部、関東地方の一部の県で40%前後でした。

 都市部では、有業者数に対する農業従事者が1割程度と少なく、工業や商業、公務自由業などに従事するものが大半で、そのなかでも男性が多数を占めていました。一方女性は、男性と同様の産業に従事するとともに家事使用人として従事するものもありましたが、有業者率は低く、専業主婦となる傾向が強かったと考えられます。これに対して地方部では、全有業者数のなかで農業従事者が6割から7割に達するところもありました。さらに、地方部では女性の有業者率が高く、その7割から8割が農業に従事していました。

 農業従事者は、1930(昭和5)年に1,414万人で、1940年に1,384万人に減少しました。農業従事者の減少は、工業や軍需産業の増産を図るための労務動員計画にもとづく国民徴用令が1939年から1941年にわたって実施されたことが影響しているとみられます。農業従事者の減少は主として男性従事者であり、人口自体は増加しているにかかわらず、1930年774万人から1940年に662万人に減少しました。これに対して、女性の農業従事者は、640万人から722万人に増加しました。

 表 職業別人口(1930年・1940年)

 1930年から1940年にかけて、道府県によって農業従事者数が増加したところと減少したところがあります。ただ、男性に関しては全道府県で減少しています。それを補っているのが女性です。女性従事者は、わずかに減少している府県もありますが、ほとんどの道府県で10%前後から多いところで50%程度の増加となりました。

 1939年の労務動員の前後で、男性の工業従事者は1930年の570万人から1940年には813万人となり、約240万人も増加しました。男性・女性のいずれも、地域間移動をともなった就業構造の変化が進んだと考えられますが、男性の変化の方が大きかったようです。

 工業従事者はほとんどの道府県で増加し、なかでも、もともと工業従事者の多かった東京府、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県などで著しく増加しました。この間の人口増加率は、全国で13.4%でしたが、東京府は36%に及び、神奈川県35.2%、大阪府35.4%、愛知県23.3%、兵庫県21.7%、福岡県22.4%でした。ちなみに1920年から1940年の人口増加率は、全国30.7%に対して、東京府98.8%、大阪府85.2%、神奈川県65.4%、愛知県51.5%でした。都市部では明治時代以降、人口が増加しましたが、昭和初期にはいっそう人口増加が進みました。その要因の一つが工業従事者の増加だったとみられます。

 
 図 工業従事者の都道府県別増減(1930年~1940年)

 1930年から1940年に、有業者数は女性が200万人以上増加しているのに対して、男性は60万人弱の増加にとどまっています。若壮年男性の多くが軍に召集されていたことが背景にあります。1940年国勢調査では、人口は「銃後人口」とあり、兵士は含まれていませんでした。1915年から1924年に生まれた男性は1945年には20歳代です。この年齢層の男性人口は、1945年に、1940年時点の5割強となり、1950年に7割台半ばに回復しました。1940年から1945年ごろには若壮年男性の半数近くが兵役に就き、そのほぼ半数が死亡したことがうかがえます。性比(女性人口100に対する男性の比率)は、20歳頃までの年齢で普通は105前後です。この世代の1950年の性比は約84でした。

 図 男性の年齢層別人口推移(コーホート)
 
 図 女性の年齢層別人口推移(コーホート)

 1930年代の戦時体制のなかで、1930年から1940年にかけて、工業活動が盛んな都市部で男女とも人口が増加し、都市部では工業と商業の従事者が増えました。地方部では、既述のように男性の農業従事者数の減少分を女性が補うこととなりました。


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