第4部 新自由主義と規制緩和

10.金融と財政

1001 金融自由化

 アメリカでは、1970年ごろから、インフレーションのために市中金利が預金金利を上回るようになり、ディス・インターミディエーション(銀行離れ)という事態が発生しました。これにより金融システムは、資金運用の仲介機関を銀行とする間接金融から、証券会社や投資銀行とする直接金融へと、大きくシフトし、金利の自由化が進みました[*10-1]。投資家・投資機関は、それまでより企業の経営状態・収益に直接的な関心をもち、自己責任原則の下で投資を行い、影響を与えるようになりました。インターネットによって世界中の市場が瞬時に結ばれるようになると、企業は継続的に間断なく高い利益と株主への還元を求められるようになって、企業間の競争が激化しました。さらに、デリバティブなどのリスクを伴う金融商品が開発されると、自己責任がいっそう強調されることになりました。

 インフレーションと失業とが併存するスタグフレーションを背景として、それまでの社会保障や国民保護、競争規制が経済活力を削いでいるとの主張から、1980年ごろからイギリスではサッチャー政権、アメリカではレーガン政権によって「小さな政府」が標榜され、規制の緩和、公共事業の民営化など市場原理にもとづく政策が進められました。規制や誘導をなくして自由な市場が維持されれば、個人や企業はそのなかで自分にとって最善の選択を行い、結果として経済や社会が効率的で合理的に運営されるとされました。政府の関与を少なくすべきとの考え方、個人や企業の選択・行為の結果は自己責任という考え方は、日本でも定着していきました。

 アメリカの貿易収支は、1960年代まではおおむね黒字でしたが、1970年には赤字傾向に転じました。アメリカで1980年代から始められたオフショアリングは、製造業やサービス業の単純な業務を低賃金のインドなどの企業に移転するものであり、経費を圧縮することで利益を拡大しようとする手法です。ILOの統計によると、1970年のアメリカの平均賃金は519ドルで、中国は21ドル、インドの製造業の平均賃金は29ドルでした。同じ年の日本の平均賃金は「賃金統計基本統計調査」から145ドル程度と推計されます。このころからアメリカの貿易収支は大幅な赤字となりました。

 
 図 世界の輸出・輸入額に対する日本とアメリカの比率

 オフショアリングは日本でも進められましたが、国内の労働者が国外のもっとも安価な労働力と競うことになります。国内雇用を喪失するという意見もありましたが、中長期的にはプラスに働くとされ、その後さらに拡大しました[*10-2]。また国内生産にこだわらず、安価な海外製品を輸入することが消費者の利益となるという考え方が広がりました。

 アメリカの産業、とりわけ製造業と鉱業は厳しい国際・国内競争にさらされ、合理化が進んだとみられます。アメリカの製造業は、1970年にはGDPの19%を占めていましたが、1980年代には17%、2000年代には13%と漸減しました。対照的に金融業などの比率は上昇しました。また小売業も、サプライチェーンを効率化し、徹底した価格管理で低価格を追求するウォルマートなどの企業が、地域の個人商店や小規模小売業を駆逐していきました。

 
 図 アメリカの産業別付加価値率

 金融自由化は日本でも行われました。1985年に市場金利連動型預金(Money Market Certificates)が開始されるとともに、10億円以上の定期預金金利が自由化されました。折からのバブル経済を背景として、金融業界は活気を帯び、理工系の学生が就職先として金融機関を目指したり、製造業の技術者が金融業界に転職するという状況が生じました。

 1993年に定期性預金金利が完全に自由化されました。また1996年に日本版「金融ビッグバン」が発表されました。マーケットメカニズムが十分に機能する金融システムの構築を目指して、投資の多様化、証券デリバティブの解禁、債権等の流動化、金融手数料の自由化、金融機関の新規参入や銀行・保険・証券会社の相互参入の緩和などが実施されました。一方で、一定額の預金まで利子が非課税だった「マル優」制度は、1988年以降、対象を縮小していきました。

 
 図 金利等の推移

 個人投資家数はバブル経済期より前は延べ約2千万人でしたが、それ以降増加傾向にあります。1999年に証券売買手数料が自由化されて手数料が値下がりしました。個人投資家は、2005年には延べ4千万人を超えました。また個人がネット取引をする環境が整備され、取引が容易になりました。なかでも1日のなかで取引を繰り返し、利ざやを稼ごうとするデイトレーダーと呼ばれる個人投資家があらわれ、証券市場は一時的に過熱しました。また短時間の株価変動を利用した、利ざや目的の投機的な取引が増加することになりました。また会社経営において、株主の利益を優先すべきという主張が台頭し、2000年ごろから「もの言う株主」が話題となりました。


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