0802 画一から多様、世帯から個人

 高度経済成長期の前半まで、人びとは生活に最低限必要な生活必需品を手に入れることに精一杯でしたが、物価に対して所得が上がり、多様な商品が出現するにしたがって、必需品だけでなく必欲品を求めるようになりました。この時期の事情については博報堂生活総合研究所の『“分衆”の誕生』(日本経済新聞社、1985)にくわしく分析されています。その一部を紹介すると、

 1960年代は国の経済政策とともに「『中流』を目指す日本人の上昇志向と、『隣に負けるな』という横並びの『人並み』意識は文字通り、怒濤の『高度成長』を推し進めた。この、日本人の意識こそ『大衆』という画一化志向をもつ大集団の塊であった。」[*8-3]しかし1970年代になると、「均質的な大衆社会は、次第に崩壊し、個性的、多様的な価値観を尊ぶ個別な集団が生まれつつあった。『分衆』社会の出現である。」[*8-4]。1980年代になると「いま人々が購入するモノの60%は必欲品だといわれている。消費の質的拡大の中で必欲品やサービスといったものに対する不自由感・欠乏感が高まっている。」[*8-5]

 さらに、世帯の経済状態には、「ぎりぎりの生存状態〈飢餓〉→必需品で手一杯でいささかの贅沢も許されない本貧乏→貧乏ではないが、必需品はともかく必欲品や教育・レジャー・文化的等々のサービスを存分に享受することはできない疑似貧乏→そして金にも心にもゆとりのある脱貧乏〈お金持ち〉という4段階が」あり、そのうちの疑似貧乏(「ニュー・プア」と名付けられている)が拡大していった、とみています[*8-6]。

 消費生活は、高度経済成長期の、画一的大量生産商品の「大衆」消費から、多様化し個性的な商品の「分衆」消費へと変化しました。さらに、三種の神器や3Cなどの、世帯単位で使用したり快適さを得ることを前提とした商品・製品から、ウォークマンやパーソナルコンピュータなど、個人向け(パーソナル)の商品があらわれ、若者を中心として受け入れられてきました。

 電話端末の発達は、個人ひとりひとりが製品を保有・使用するようになった典型ともいえます。固定電話の普及初期には設置数が少なく、コミュニティのなかで、実態としては共同で使用されていましたが、徐々に世帯ごとに保有・使用されるようになりました。ところが1992年にポケベルが、1990年代半ばにはPHSと携帯電話が出現すると、通信端末を個人で使用するスタイルが一般化してきました。1999年に、インターネットに接続できるiモードの携帯電話が発売されると、携帯電話加入数は固定電話をしのぎ、急速に普及してきました。さらに2008年にはiPhoneが発売され、スマートフォンが爆発的に普及しました。使用単位は、コミュニティから世帯、個人へと個別化していきました。


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