1102 既存商店街の衰退と商業施設の進化

 大規模小売り店舗とは、もともとは百貨店やスーパーマーケットが想定されていましたが、1990年に大店法が緩和されるよりも前、商業施設の新しい形態として、娯楽施設や公共施設などを取り込んだ複合型のショッピングセンターが出現しました。1972年には大阪府枚方市に「くずはモール街」、豊中市に「セルシー」がいずれも駅前に、1981年には千葉県船橋市に「ららぽーと」、1985年に兵庫県尼崎市に「つかしん」などのショッピングセンターが開店しました。いずれも近くに駅はありますが自家用車での来客も想定しており、大規模な駐車場を備えていました。

 1980年代には自家用車の普及率は60%を超えました。ショッピングセンターは規制緩和後にさらに増加しました。自家用車の普及を背景にし、近隣だけでなく中遠距離から客を集めました。また高度化した消費やライフスタイルに応じた斬新な品揃えや店舗構成、店舗デザイン、商業空間があらわれてきました。小売業をとりまく社会環境が変化してきました。

 商業施設は集客の見込める市街地や鉄道駅近くに立地するのがかつての定石でした。1980年前後から、車の通過点でしかなかった幹線・主要道路沿いにスーパーマーケットやディスカウントショップ、ホームセンターが立地するようになりました。そのため、「中小都市における商圏の狭い近隣商店街の多くで停滞感、衰退感が強」まってきました[*11-3]。また既存の商店街が大型店よりも「一か所で多分野の商品を購入できる利便性」、「品ぞろえ」、「ショッピングの快適性」、「駐車場・駐輪場の整備」で劣ることを、小売店自身が認識していました[*11-4]。

 1993年の「小売業実態調査」によれば、既存商店・商店街の競合相手は、衣料品については、自店よりも規模の大きい商店、食料品についてはコンビニエンスストア、住関連については、従来型の駅前商店・商店街内商店とロードサイドショップやホームセンター等でした[*11-5]。

 既存商店街の小売店の売り上げは、狭い近隣市街地での人口減少や後継者難などで、1980年代にすでに停滞していましたが、1990年の大店法緩和によって衰退が決定的になったといえます。

 東京の下町や古くからの市街地などは人口も小売店も稠密で大規模店が立地する空間的余地が少なく、さらに駅前などの利便性の高い場所に立地しているために、買い物に車を利用することはかえって不便です。そのため、地元の小売店の購買者も多くなります。しかしふつうの市街地や地方都市の商店街では、地域全体の人口減少とともに、郊外や隣町などに立地した大規模商業施設に客が流出したために、売上が激減し、廃業する小売店が増えました。市街地で小売店と共存していた総合スーパーも、採算が悪化して撤退するところが増えました。空き店舗が増えたために商店街の活気や魅力が失われて客が少なくなり、さらに空き店舗が増え、「シャッター商店街」になるという悪循環となりました。

 1998年に中心市街地活性化法が施行され、関係者と市町村が一体となって商店街などの魅力創出や環境整備を推進するための仕組みをつくることができるようになったものの、地方都市の商店街の状況はきわめて厳しいものがあります。さらにそのような商店街の周辺では、若年層が流出して高齢化しているところが多く、日常的買い物がますます不便となりました。

 その後、東京などの大都市では、都心にも複合型ショッピングセンターが進出するようになってきました。都心では百貨店が代表的な商業施設でしたが、それが変貌しただけでなく、新しい施設、複合施設があらわれてきました。東京や大阪、名古屋などの都心では、もともと建物の下層階や敷地内に飲食店や店舗のあるオフィスビルが多かったのですが、ビルが新築されるとそれらも充実していきました。またターミナル駅も、単なる交通の通過点ではなくなっていきました。品川駅では2005年に、大阪駅や博多駅などでは2011年に、駅と一体化した商業施設がオープンしました。同様の施設は各地に広がっています。また都市の中心部にも、小売業各社が工夫を凝らして大規模な複合型ショッピングセンターを展開していきました。


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