0103 戦前の地域別人口動向

 人口の都市集中は明治時代以降一貫した現象です。1884(明治17)年から1940(昭和15)年までに、全国人口は3,745万人から7,310万人へと、ほぼ2倍になりましたが、東京府は115万人から736万人へと、4.6倍に増加し、神奈川県も82万人から219万人になりました。大阪府は163万人から480万人へと、3倍弱に、兵庫県は144万人から322万人になりました。さらに、愛知県は136万人から317万人に、福岡県は113万人から309万人となりました。地方部では、開拓が進められていた北海道で、1884年から1940年にかけて23万人から329万人へと、14倍強となりました。なおこの間に、中国大陸や朝鮮半島、台湾などに多くの日本人が移住しました(詳細不明)。

 図 道府県別人口増加数(1984~」1940年)

 都市部への人口集中が顕著だったとはいえ、大正時代までの道府県間の人口格差は今日にくらべると小さく、例えば東京府の人口シェアは1884年で3.1%、1920年で6.6%でした(2015年は10.6%)。また出生率が高かったために、1935年までは、一時的にでも人口が減少する府県は珍しく、減少したとしてもわずかでした。県レベルでの人口減少が目立つようになるのは1955年以降です。

 したがって戦前には、農村人口が安定しており、地方部の人口構成は安定的だったと推定され、その結果として地域の産業、経済社会体制も安定的だったことも想像できます。都市部の人口増加率が高くても地方部の人口動向にはさほど大きな影響はなかったとみられます。

 都市部の戦前人口は、第2次大戦によって一時的に減少することになりました。空襲は、1942年に東京が初めて空襲に遭い、1944年と1945年には東京を含めた都市部や工場地帯など各地が空襲の対象となりました[*1-2]。都市部からの疎開がこのころに始まりました。また、原爆を含め、空襲による死者数は40万人以上にのぼりました[*1-3]。1940年から1947年の間に東京府と大阪府の人口は3割以上減少し、代わりに埼玉県、千葉県、奈良県などの大都市周辺地域をはじめほとんどの県の人口が増えました。

 現在の東京都区部では、1940年から1947年の間に世田谷区と板橋区、杉並区など5区で増加もしくは微増した以外は減少し、区部全体では4割近くが減少しました。大阪市でも半数以上の人口が減少しました。しかし1950年になると東京都や大阪府、神奈川県の人口は再び増加し始めました。

 1905~1924年生まれの男性人口は、10~29歳となる1935年の1,293万人から、25~44歳となる1950年には984万人に減少しました。しかしこの世代以外の人口が大幅に減少することはなく、戦前に引き続いて都市部、とりわけ首都圏での人口増加が著しいものがありました。

 1940年に736万人に達していた東京都の人口は1947年に500万人にまで減りましたが、1950年には628万人、1955年に804万人、1960年には968万人となり、その後も一時期を除いて増加し続けました。

 なお世帯人員は、戦前には世帯員5人以上の世帯が半数以上でした。とりわけ東北地方では5人以上の世帯が65%程度でした。一方で東京府、大阪府と西日本の一部の府県では1920年、1930年に40%台半ばでした。


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