1104 デフレーションの始まり

 日本の経済成長率は2000年ごろから停滞ないし縮小する傾向が続きました。1998年の日銀短観では景況感が悪化し、デフレ-ションの懸念が強まりました[*11-11]。消費者物価指数も1990年代後半からは横ばい状態となりました。電気製品などを含む家具・家事用品の指数は1990年ごろから、教養娯楽の指数は2000年ごろから下降し、食料指数も2000年代にわずかに下降するようすがあります。賃金も停滞し、日本の経済はデフレーション状態でした。

 
 図 消費者物価指数(2015年を100)

 家計の支出額は2000年ごろから総額として縮小しました。家計の中で食料費の比率は戦後一貫して縮小してはいましたが、金額は1990年代前半まで増加しました。ところが、他の、教養娯楽費や交通・通信費などの金額が横ばい、ないし微増したにもかかわらず、食料費はバブル経済崩壊後、2000年代にかけて減少しました。家計の引き締めは、主として食料費の縮小によって行われていたとみられます。外食も1990年代後半以降は横ばい状態です。

 
 図 外食費比率

 外食店も家計の引き締めに対応していきました。寿司店は、かつては高級な飲食店と見なされていましたが、回転寿司の登場で徐々に大衆化していきました。回転寿司は大阪府東大阪市にあった元禄寿司で1958年に最初に導入されました。しかし1皿当たりの価格はネタによって違っており、寿司店の敷居を低くはしましたが、低価格というわけでもありませんでした。

 低価格を導入したのは1皿百円均一の回転寿司です。1984年7月に大阪府堺市に開店した回転寿司くらが、1皿百円均一の寿司の提供を始めました。また1996年9月にはすし太郎(現・スシロー)も1皿百円均一の店舗を出店しました。2010年代後半には、国内だけで前者は400店以上、後者は500店以上を展開しました。さらに1990年代後半には、個人店も含めて百円均一の寿司店が各地に開店したとみられます[*11-12]。

 2000年になるとほかの外食チェーン店で値下げが相次ぎました。2月にマクドナルドが130円のハンバーガーを半額にし、ロッテリアも追随しました[*11-13]。牛丼チェーンの松屋は、2000年9月に並盛りの価格を290円に値下げしました。なか卯や吉野屋などもそれに追随し、2001年夏には並盛り300円弱が相場となりました[*11-14]。ただ、当時不安が広がっていた牛海綿状脳症(BSE)の影響で、牛丼の販売は2004年から休止されました[*11-15]。値下げは、ファミリーレストランや一般の飲食店にも波及しました。外食店の価格は、変動しながらも、2000年以前にくらべると低い水準でした。

 飲食店以外でも低価格化が進みました。小売業においては、商品の低価格化は、1990年代半ばには始まっていたと考えられます。すべての商品を百円で販売する百円ショップは、フリーマーケットや客寄せのイベントとしては1980年代から行われていたといいます[*11-16]。1990年前後から各地に百円均一の店舗があらわれ始めました[*11-17]が、なかでも大創産業は、1991年に第1号の直営店「高松店」を開店してから各地にチェーン展開しました。1998年時点で、大創産業の店舗は全国に900店、百円ショップで当時第2位のキャンドゥは180店舗を展開していました[*11-18]。

 衣料品販売では、山口県に創業したユニクロは、1990年代後半から、デザインと品質に優れていながら低価格の衣料を販売し、急速に売上を伸ばしました。家具販売では、ニトリが、北海道を中心に自社開発の家具やインテリア用品などを中心として低価格の商品を販売していましたが、1993年から本州にも店舗を展開していきました[*11-19]。外国資本の参入もありました。アメリカの流通大手コストコは、1998年に福岡県久山町に会員制大型小売店の日本第1号店を開業しました。スウェーデンの家具販売チェーンイケアは、2006年に千葉県船橋市に日本第1号店を開業しました。

 これらが商業活動に与えた影響は大きく、「バブル崩壊後の1990年代初頭、スーパーが主体となって低価格化を進めた。ところがその後、スーパー業界のすき間を縫って、ホームセンターやドラッグストアなどが専門領域ではスーパーより安い『新価格体系』をつくり上げた」[*11-20]状況でした。「良い商品は高い」やブランド志向から、「安くて良い商品」、「コストパフォーマンス」といった、実質本位の消費者志向、消費者感覚が広がっていったと推測されます。


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