0405 余暇活動・娯楽・レジャー

 1950年代から生活は豊かになっていきました。1957年「経済白書」[*4-13]には、「・・・31年度の都市消費は・・・その他増加率の高い品目には雑費の中の修養娯楽費と文房具費があるが、これらの品目は質的に高次のものが多く、実質所得の向上とともに消費需要が漸次高次のものに向う前年以来の傾向を現すものとみてよいだろう」とあり、1961年の同白書[*4-14]には、「国民の間には余暇をより多く求め、これを楽しもうとする風潮が高まり、労働運動面でも労働時間短縮の要求が強くなってきた」とあります。

 とは言っても、余暇活動はまだ活発ではなかったようです。1959年に実施された都内の有権者千人程度に対する東京大学の生活時間調査によると、平日のサラリーマンの64%が帰宅途中に「なんとなく街頭をぶらぶらしている」と答え、帰宅後は全員が新聞・ラジオなどのマスメディアに接し、他は読書や団らんで過ごしていました。また日曜・祝日は6割近くが在宅で家事や日曜大工などをして、外出者の4割が映画で、それ以外にデパートや知人宅訪問をしたと答えています[*4-15]。

 1962年「国民生活白書」[*4-16]は、「昭和36、37年は夏の山、海水浴場、冬のスキー、スケート場等の行楽地が人であふれるなど旅行ブーム、あるいはレジャーブームの年とさえいわれた。これはこれまで一部の高所得者にかぎられていた観光旅行が広く大衆化のきざしをみせてきたためであろう。
 『消費者動向予測調査』によれば、・・・1年間に都市世帯の67.1%および農家70.0%は1泊以上の旅行あるいは片道25キロ以上の日帰り旅行を行っている。」と記しています。

 大河内一男氏は同白書の報告に関し「貧しい日本の余暇」と題して、「数年前から、レジャー・ブームなどと、言われてきた」が、「消費水準の上昇やレジャー支出の増加がつけ焼き刃で、本当に身についていないようである。」と指摘し、日本の場合は低所得階層が、「長い間の低い賃金と暗い生活水準からようやく一歩抜け出しはじめた人間が、マスコミの誘導で」レジャー消費に向かっていると分析しています。その背景として、「余暇の反面は、作業時間の短縮であり・・・年次休暇の幅を広げることであるが、その点では、週50時間を突破している日本では余暇の余地は恐ろしく狭い。日本人が・・・刻苦精励の国民だといわれるのはその点であろう。だからこの意味の余暇を堂々とつくることにかけては、日本人は恐ろしく不得手である。」と論じています[*4-17]。

 個人の旅行は、かつては交通手段が乏しかったこともあり、仕事による旅行以外は寺社詣でや湯治場に赴くぐらいで一般的ではありませんでした。他方で団体旅行は修学旅行が明治時代に始まりました。戦時中に規制されていた修学旅行は1946年に復活し、1960年からは、小中学校の学習指導要領の学校行事等として位置づけられました[*4-18]。貸切バスの利用者が1950年代に急増しており、このころから修学旅行や企業の慰安旅行が盛んになったと推測されます。

 海外旅行は、東京オリンピックが開催された1964年4月に海外渡航が自由化されました。当時の為替レートは360円/ドルの固定相場で海外旅行はきわめて贅沢なものでした。また日本の外貨準備額も乏しく、外貨節約のために観光目的の海外渡航は認められていませんでした。しかしそれ以前から貿易自由化が徐々に進んでおり、渡航自由化の雰囲気が高まっていて、1960年ごろから旅行資金の積立て募集を銀行と交通業界が連携して始めました。

 
 図 貸切バス輸送人員・日本人出国者数

 海外渡航自由化後の1ヶ月の渡航申請数は11,064人でした。内訳はアメリカ、香港、東南アジア、欧州などで、新婚旅行が目立っていました[*4-19]。1967年には学生の海外旅行、留学も増えてきています[*4-20]。ただし1970年代までの日本人出国者数は年間5百万人に届きませんでした。海外旅行者数が急速に増加したのは、円高となった1980年代以降です。

 1971年「国民生活白書」[*4-21]によると、10年ほど前にくらべて休日をごろ寝や読書など非活動的な行動をする人の比率が下がり、よりアクティブな活動をする人の比率が上がったと言います。また従来は一部の人に限られていた日帰り旅行や庭いじり、日曜大工などの活動が一般にも広がりました。ボーリングが盛んになったのも1970年ごろです。さらに旅行についても、大阪万国博覧会の影響もあって回数が増えただけでなく、かつて多かった慰安旅行が減少し、自然・風景や名所旧跡を訪ねることを目的とする旅行が増えました。

 サラリーマンなどの余暇活動が活発とは言えなかったなかで、学生や若者から余暇・娯楽活動が浸透していったとみられます。1955年ごろにはスキーがすでにブームとなっていました。毎日新聞[*4-22]は、「『正月はスキー場で・・・』とちょっとばかりお金のある連中は上々の積雪をみた各地へどしどし繰出し」、スキー場は満員で、「上越線などは列車に乗れぬ帰り客が五百名もでる有様。」と伝えています。

 余暇活動の一部といえるでしょうが、1960年代から海外のフォークソングやロックやポピュラー音楽に対する関心が、若者を中心として高まってきました。アナログディスク(レコード盤)の生産量も1960年代から急速に増加しました。1962年にベンチャーズ、1966年にビートルズの日本公演があったほか、多くのバンドが来日し若者は熱狂しました。またそれらの影響もあって、ギターブームが起こり、アマチュアを含めて無数のバンドやシンガーソングライターなどがあらわれ、盛んに活動しました。1960年代にはすでに、若者の活動はアクティブでした。戦後教育を背景として、海外から新しい考え方や文化が積極的に導入されるとともに、若者中心に、欧米の考え方や文化、行動の新しい流れが生まれました。しかし一般のレジャーは比較的地味で保守的だったと推測されます。

 
 図 音楽ソフトの生産量


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