01.戦前

第2次世界大戦後の生活や社会は、戦争による混乱や断絶があったとはいえ、基本的には戦前の延長でもあります。人口動向等の基本的な指標について戦前の状況をみておきます。

0101 戦前の人口増加

 日本の人口は江戸時代半ばから明治時代初期にかけて3千万人程度で推移してきましたが、明治時代以降増加しました。1872(明治5)年3,481万人、1884年3,745万人は、江戸時代とさほどかわりませんが、1900年には4,385万人に増加し、1920(大正9)年5,567万人、1930(昭和5)年6,445万人、1940年に7,193万人になりました。

 
 図 明治時代から平成時代の人口推移

 明治時代半ばからの人口増加は出生率の上昇によるものです。1870年代の出生率は人口千人当たり24人程度でした。徐々に上昇して1890年ごろから1930年代にかけては30~35人程度になりました。その一方で、死亡率は、明治時代から1930年ごろにかけては20人程度で推移していました。出生率と死亡率との差が徐々に広がり、結果として人口が増加しました。

 
 図 明治時代から平成時代の出生率・死亡率と婚姻率・離婚率の推移

 乳児死亡率は、出生児千人当たりで、統計の残る1899年から1925年までは150~180人程度でしたが、その後は急速に低下し、1942年には85人、その後はさらに低下し1975年以降は10人以下になりました。出生率は、1920年以降わずかに低下する傾向がみえますが、乳児死亡率が低下したことで、子供数は増加しました。

 平均世帯人員は、全国平均で1920年4.86人、1930年4.96人でした。そのなかで東北地方6県の平均世帯人員はいずれも6人弱で、ほかには、栃木県、群馬県、新潟県、静岡県、佐賀県などが5.5人程度でした。いずれも農業が主たる産業であり、世帯員が多いことは農作業のために好都合だったとみられます。1930年の秋田県や山形県の農家当たり耕作地面積は1ha以上で、東北地方の他県や新潟県、佐賀県の面積も比較的広い傾向にあります。それ以外の府県の耕作地面積は0.5ha前後でした。

 
 図 都道府県別平均世帯人員
 
 図 農家当たり耕地面積(単位:a)

 戦前の人口増加の背景には食料増産が進んだことがあります。米の生産(水稲)の作付面積は、明治時代から1932(昭和7)年まで、250万ha余から300万ha余まで漸増し、10a当たり収量も200kg前後から1940年代には300kg前後まで増加しました。しかし1950年までは、国内の作付面積も、10a当たり収量も停滞しました。1932年から1950年代前半までは作付面積は300万haを割り込み、人口が増え続けたにもかかわらず、食糧事情は悪化しました。

 
 図 明治時代以降の米の生産量と作付面積

 10a当たり収量が再び上昇するのは、農業の近代化が進められた1960年代以降であり、1980年代には500kg以上になりました。しかし、1960年代から米の消費量が縮小し始め、作付面積も小さくなりました。ちなみに農家数は、1950年代までは600万戸程度でしたが、1960年ごろから減少し始めました。また、農用馬の飼養戸数は、1950年ごろは約90万戸、頭数は約100万頭でしたが、1960年ごろから急減しました[*1-1]。


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