0702 人口Uターン・Jターン

 大都市の転入超過と人口増加は1960年代前半をピークとして沈静化していきました。20歳前後の人口は今日に至るまで一貫して都市部に転入超過(純移動)しているものの、1970年代から30歳前後から上の人口がわずかながら地方部に移動するようすがみられるようになってきました。県民所得は法人所得も含むために地域経済全体の活力を表すものです。1人当たり県民所得は東京都を100とすると1950年代には全国平均で60台前半でしたが、格差が徐々に小さくなって、1970年代には70程度になってきました。1970年代半ばには、東京都との給与格差も地方部の一部ではやや縮小しました。

 県内総生産の東京都のシェアは、1960年代を通して縮小し、代わって東京都以外の首都圏や近畿地方、九州地方のシェアが1960年代から1970年代にかけて大きくなっていきました。また1970年代からは日本の経済成長に陰りがあらわれてきます。

 
 図 圏域別、県内総生産シェア

 Uターンとは、いったん地方から大都市圏などに移動した人口が、出身地に帰る現象です。また、本来の出身地でなく、出身地に近い地方都市などに移動するものをJターン、都市から出身地以外の地方に移動する場合をIターンと呼ぶことがあります。都市には、若者が成長期の一時期のみ修学や修業を行う場所としての機能もありますので、Uターン・Jターンはいつの時代にも存在しました。

 Uターン・Jターンとみられる人口増加が県の単位で顕著にあらわれるようになったのは、高度経済成長期後の1970年代になってからです。地方部への人口移動がみられるようになった背景には、東京都を中心とする経済活動の停滞と、相対的に地方部の経済がそれなりに好調であったことがあげられます。

 国勢調査によれば、東北地方や北陸地方、中国地方、四国地方、九州地方では、いったんは減少していた1940年代生まれの人口が、30歳前後に達した1975年に増加に転じています。ただし大都市圏以外で産業が蓄積していたとみられる宮城県や茨城県、栃木県、群馬県、岡山県、広島県などでは、1975年時点で、転勤を含むとみられる40歳前後の人口も、わずかに増加しています。その後バブル経済期後の1990年代にも地方へのUターン現象がみられますが、いずれも30歳前後の人口が中心です。

   
 図 年齢層別人口推移(北陸地方4県)  図 年齢層別人口推移(中国地方5県)
 
 図 都道府県人口増加率(1970-1980年)

 1969年7月4日の朝日新聞[*7-1]「今日の問題」には「Uターン」の見出しで、「大都市から地方へ、人口の逆流が目立ってきたという。・・・要するに大都会の生活が、人間にとってもうどうにも耐えられぬものとなってきた、ということだろう」と報じました。Uターン人口の内容については、1972年「労働経済の分析」に、「Uターン者には、出身市町村に戻るものだけではなく、とくに出身地が山村で優良な雇用機会がない場合には、・・・出身地近くの雇用機会豊富な地方都市に還流するケースが多い」とともに、「事業所地方分散などに伴って、大都市から転勤する労働者も増加してきている」と分析しています。

 1973年6月8日の毎日新聞[*7-2]で岡田真氏は、「人口Uターンの影響は、県庁所在地クラスの中核的地方都市や第2次、第3次産業的性格の強い地方都市には、すでにあらわれているが、他方、純農村的地域には、今もなお人口流出を続けているところも少なくない」、さらに「現在進行中の客観的事実には、・・・地方都市が城下町時代のなごりを強くとどめる町から現代的な都市に脱皮したこと、・・・工場地方分散と公害拡散、その他さまざまのものがある」と指摘しています。地方部でも、U・Jターンの対象は雇用機会のある地方都市であり、山間部などは対象外でした。

 人口移動の理由としては、家庭的事情などもありますが、もっとも影響するのは収入を得るための就業です。大都市圏での雇用機会は多かったものの、仕事内容は高度化・細分化していきました。都市部で希望する職を得ることが難しくなってきていた一方で、高度経済成長期を通して地方都市の経済が活気を取り戻していました。出身地の地方都市へのUターンが妥当な選択肢となっていたと想像できます。

 しかしながら、1980年代後半からは北海道や東北地方、西日本の一部の県で少しずつ人口減少が始まりました。さらに、2000年以降は、首都圏や東海地方、近畿地方の一部都府県を除いて減少するようになってきました。人口Uターンは、1970年代から1980年代にかけて地方部の一部で発生した一時的な現象でした。

 雇用機会のない山村の状況については大野晃氏の研究があります。大野氏は、長年の現地調査をもとに山村地域の実情を明らかにしました。55歳以上が集落の半数以上を占め、若夫婦などの近い将来の担い手のいない集落を「準限界集落」、65歳以上が半数以上で、社会的共同の維持が困難となった集落を「限界集落」と名付け、限界集落はさらに「消滅集落」に推移する可能性を指摘しました[*7-3]。

 大野氏は、「現状の我が国の山村は、田畑や山林などの地域資源の管理主体をなしている集落が限界集落化し、消滅集落へ向かいつつある。このため、遊水池として水の重要な調整機能を果たす棚田や畑の耕作放棄地が増大する一方、山林の放置林化も進み、『山』=森林が荒廃の一途をたどっている」[*7-4]と各地の窮状を報告するとともに、その支援方策を提起しています。


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